F-105's Page
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↑ 1978年1月 撮影されたF-105D/60-0493。機首にドイツ軍の国章お付けているのは、同飛行隊が、当時のドイツのネルフェニッヒに演習に行った記念のものである。同様のマークは、60-0471等にも書かれていた。
457th TFS / 301st TFW
↑ 撮影地は不明、1981年5月に撮影された457th TFSのF-105D/61-0161。腹の下には、650ガロンのセンタータンクが付いている。
F-105D (1972~1982)
第457戦闘機中隊(457th TFS)は、太平洋戦争末期の西太平洋地域において日本本土爆撃に向かうB-29爆撃機のエスコートを行う任務を負っていた。その点ではF-105の冒頭ぺージでご紹介した466th TFS創設の経緯と似ている。457th TFSの場合は、サンダーボルトではなく、飛行距離の長い当時の新鋭機P-51ムスタングが彼らの最初の配備機である。と言う訳で、硫黄島を本拠地にして日本本土の基地攻撃も行っているので、当時の日本人にとっては憎っくき相手だったわけだ。
 陸軍航空隊から空軍という組織に改編された後は、F-84、F-100と使用機を換えて1972年から1982年までの間,テキサス州での唯一のリザーブ飛行隊としてF-105Dを使用した。1981年からF-4Dを装備して1991年まで使い、現在はF-16Cを経てF-35Aを使用が開始されようとしている。(2023年11月 記)
↑ 1978年10月 テキサス州カーズウェル空軍基地(Carswell AFB)で撮影されたF-105D/60-0493。胴体下についている白いポッドは、爆撃訓練用のディスペンサーと思われる。機関砲口の周辺は射撃後の煤で真っ黒になっている。
↑ 本項2枚目の写真と同じ機体1981年5月ケンタッキー州の陸軍航空基地フォートキャンベル(Fort Campbell)で撮影されたF-105D/61-0075。陸軍基地とは言えここには3000m級の滑走路があった。1981年と言えば同飛行隊のF-105Dの引退も近く、次のF-4Dの受け入れ準備にかかっていた時期である。
↑ 1977年10月 テキサス州カーズウェル空軍基地(Carswell AFB)で撮影されたF-105D/61-0075。
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↑ 1981年5月にカーズウェル基地で撮影されたF-105D/60-0514 。背景には、KC-135Aや黒くそそり立つB-52Dの尾翼が写っているが、この基地は、当時第7爆撃航空団の拠点でもあり、戦略空軍が使っていたのである。この基地のB-52Hは、厚木基地の1991年航空祭に飛来展示されたこともある。
↑ 1978年8月 コロラド州オーロラ市のバックレイ空軍基地で撮影されたF-105D/60-0527。
↑ こちらは1980年8月にミネソタ州のダルースで撮影された457th TFSのF-105D/61-0096。同じように尾翼は”Thud”になっている。
↑ 1980年10月ノートン空軍基地に展示された457th TFSのF-105D/61-0044。此処で撮影者は、尾翼に書かれた”UD”を見逃さなかった。テールレター”TH”は、本来「テキサス・ヒューストン」を表すが、+UDで、F-105の愛称”Thud”となる。
↑ 1977年8月に当時西ドイツのネルフェニッヒ空軍基地(現在のドイツ連邦共和国ノルトライン地域でベルギーに近い)で撮影されたF-105D/61-0100。この基地は現在 ユーロファイターが運用されている。